
(※以下に記載している内容は、マスクを装着すること自体を否定している内容では決してございません。)
現在ぼくは車をほとんど運転しませんが、以前運転中に何度か煽り運転にあったことがあります。
さんざん後ろから衝突しそうなくらいに煽ってくるので「一体どんな怖い感じの人が運転しているんだろう。」と、煽り運転をされたときに毎回思いながらわざとスピードを落としてバックミラーで運転手の顔を確認しようとしていると、
しまいに相手がしびれを切らし、自分の車を追い越していきます。そしてその追い抜かれ際に運転手の顔を確認すると、
「あれっ!?散々煽ってくるのでどんな怖そうな人かと思っていたのにむしろめちゃくちゃ普通な感じの人やん!!」とか、「めちゃくちゃ穏やかそうな人やん、、、」と思うことがしばしばあります。
(あくまでお互い車越しのため相手の強さや危険性を目つきや頚から上の雰囲気だけで判断してはいますが。)
私が思うに、彼らをそうさせる(煽り運転をさせる)のは、車という『鉄の塊(鎧)』である密室に守られていることからくる「心理的安心感」や「自分が大きな力を保持している」というある種の『錯覚』が生じているからなのではないでしょうか。
これと同じようなことがいまの『マスク社会』でも言えると思います。
例えば、人混みで人とすれ違う時や満員電車やバスの中などでは、
どうしてもお互いの身体の一部が当たってしまう時などがありますが、
その時に「あ、すみません!!」とこちらが頭を下げたときにふとその相手の顔を見ると、
マスク越しの相手の表情が明らかに「イラっ」としてしていてこちらを凝視して(睨んで)いるといった場面や、
また違う場面では、例えば飲食店などのお店で注文時や会計時に、
店員さんがマスクをされているとどうしても店員さんが言った言葉が聞き取れにくい時がありますが、何て言ったか聞き直したときに、その店員さんが眉間にしわを寄せてあからさまにうっとおしそうな態度をしながら言い直してくるといった場面に遭遇することが非常に多くなったと感じています。(これを指摘するとカスハラ扱いされる笑。)
これらも先ほどの煽り運転の心理状態と同じで、
今までなら、自分の思い通りにいかないことで内心はイラっとしたことがあっても、
顔に出さないように我慢できていたことが、
マスクで顔の半分以上が覆われていることで、
「身元が割れない」、「マスクという仕切りに守られている」という心理的安心感が生まれ、
本来自分の感情(特に怒り)というものは自分で制御するという、社会で生活していくうえで最低限必要な抑制がきかなくなってきているのではないかと思います。
「お宅がそんなに争いたい(闘いたい)なら、こっちはいつでも(闘う)準備できているよ!!」と、
こういう場面に遭遇した当初(2020年くらい)は闘争心があふれでていましたが、
5年近くたった最近ではこの状況に慣れてきてもうどうでもよくなってしましまいました。
(いちいち怒りの感情を出すこと自体が無駄に思え、虚無の境地に至ってきました。)
この数年間のマスクの強要(同調圧力)による影響(悪影響)には、
- ご高齢者の健康状態(呼吸機能)の悪化
- 子供の脳の高次機能の未発達
⇒親を始め相手の表情が見えないことで、感情形成がうまく成されない
⇒発達障害(そもそも発達障害という病名自体が一部作られたものであるとおもうが) - 犯罪率の上昇
⇒2020年以前は怪しい人の象徴であったマスクに帽子というスタイルが
今やデフォルトになり、不審者扱いされなくなった。 - 特殊感覚(特に耳)に不自由のある方へ影響
⇒バリアフリー社会とか形だけ良いこと言うぐらいなら、
こういった方々に無理やりマスクをさせるな - 実は細菌・ウイルスに対する感染予防効果など限りなくゼロである
⇒おそらく小学生の算数レベルで考えたらわかる
⇒花粉症などの予防には効果ありかも
以上のようなものが挙げられますが、
最近になってようやくメディアもこれらを報道するようになり始め、それにお気づきになる方も増え始めたという印象があるので、状況としては少し良い方向に向かってきている気はします。
ただ、日本は色々な意味でマスクの恩恵を受けてしまったので、、、、、
まだまだ『ほぼ意味のないどころかマイナス要素の多いマスク社会』から脱却する日はこないでしょう。
同調圧力が横行した非常に生きにくい社会になっていると感じます。
しかし、だからこそよけいに今『同調圧力に屈しない』生き方が求められているような気がしますし、
それを少しずつでも実践していくことが、この危機的社会を少しでもマシに(楽しく)生き抜いていくいく第一歩になる気がしてなりません。
『おもしろき事もなき世をおもしろく』(高杉晋作辞世の句より)
※やむを得ない理由(お顔の怪我や日焼け、花粉症対策、あるいは精神的な理由で人に顔を見せたくないなど)で、やむなくマスクをされている方はじめ、そもそもマスクを装着するという行為自体を否定しているわけでは決してありません。
