エール

  • 2020年11月2日
  • 2021年4月9日
  • 思想
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※表紙写真は、ボクシングモバイル様から拝借致しました。

ぼくは数年前、とあるボクシングの試合で、あるボクサーに完膚なきまでにやられ、TKO負けしたことがある。ぼくはその試合を最後に引退した。(引退といっても、そもそも数試合しかしていないのに引退もくそもないが笑)

そのボクサーはぼくを軽く倒した後も着々と白星を重ね、最終的には日本タイトルマッチや東洋太平洋(OPBF)上位ランカーにまで昇りつめるまでになった。(日本タイトルマッチでチャンピオンと激闘し、あと一歩以上のところまで追い詰めたが、惜しくも王座奪還ならず)

ぼくとしては、自分と対戦した選手が活躍するのはのは、どちらかと言えばうれしいことなので、いつも試合結果をネットニュースなどで確認するなどして応援していた。

しかし、そのボクサーが突然引退した。というより数か月も前に引退していた。昨日ネットニュースでふと、「○○選手、最近試合していないなあ、怪我でもしたのかなぁ、、」とおもい調べてみたところ、たまたまスポーツ新聞の記事と本人のSNSがみつかり、そこに「引退とその理由」が綴られていた。

その選手の引退の理由は、何年も前から身体のある箇所に不調を抱えながら、ボクシングを続けてきたが、この度、その症状が悪化したためとのことであった。

つまり、ぼくと対戦した時もすでにその症状を抱えながら、闘っていたことになる。しかし、その選手からはそのようなディスアドバンテージは一切感じさせない、すさまじいコンビネーションと計り知れないスタミナで、ぼくを4ラウンドTKOで倒した。

ことぼくに至っては、この10年間、自分の脚にあるちょっとした麻痺を常に言い訳にして生活してきた。何よりも何とかこの脚で試合までできてよかったと満足感に似た思いもあり、あるいは少し慢心になっていた部分もある思う。そもそもこのブログでこう書いている時点で、それを言い訳にしていることが再認識され、つくづく自分の弱さに気づかされた次第である。
(※ちなみにぼくの場合は、自分の鍛錬不足が原因でした怪我(障害)である。)

「もうボクシングができないとか、もしかしたら運動もできないかもしれないとか、ファンの期待にも応えられない」など、さまざまなことができなくなるかもしれないことに対して、「どれほど悔しかっただろうか、無念だっただろうかとか、今後に対して不安な気持ちになっているかもしれない」と思うと安易に思いつく言葉もない。

それぞれが負っている怪我、疾病、障害、または悩み、苦労などの抱えている様々な問題に対して、「あの人のほうが大変だ。」とか、「あなたのほうがましだ」とか、その重さの度合い(順位づけ)をつけるようなことは決して良くないことである。その怪我や疾病や悩みに対する重さ(捉え方)は人それぞれ全く違うからである。
 しかしこの選手の場合、どうみてもその時の自分より不利な状態でボクシングに取り組んでいたことは明白であった。

ボクシングやスポーツの能力がすごいからといって、疾病などの様々な困難に対しても強いというような簡単な話では決してないと思う。全く別の問題であると思う。

また、そのような境遇にある方に対して、「頑張ってください。」とか「あなたならば大丈夫です。」といった表面的な言葉を安易に掛けることはできない。ましてや、自分が偉そうにかけられるほどのものでもない。
とはいえ、いくら考えても頑張ってほしいという以外の言葉は思いつかない。なんとかこれからも頑張ってほしい。

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